アデリア株式会社の歴史
History
始まりは1819年(文政2年)、
初代の石塚岩三郎が
尾張藩主徳川慶勝公より
ビードロ細工の注文を賜ったことから
石塚硝子の歴史は始まっています。
そこから現代に至るまでの歴史の中で、
テーブルウェアから飲料のボトルまで、
石塚硝子は幅広い硝子製品を製造してきました。
アデリア株式会社は、石塚硝子のガラス食器販売部門として日本の食文化に貢献しています。
そんなアデリア株式会社の歩みをご紹介していきます。
千代田硝子株式会社創業
千代田硝子株式会社として現在地において創業しました。
千代田硝子として
1階にショールームを設置しお客様との商談に利用を始めました。ショールームの入口付近にはショーケースが設置され、新商品等を飾ることで道ゆく人にも商品をアピールすることができました。
資本金を1千万円に増資しました。
代表作の誕生
酒税法の改正を受け、石塚硝子が世界で初めて梅びんを開発しました。梅びんは千代田硝子のオリジナル商品「グレープフルーツ絞り」と共にヒットし、同商品は東京都から表彰を受けました。
石塚硝子が上場
石塚硝子株式会社の代理店指定を受けました。
石塚硝子株式会社の100%出資となりました。
今なお続くヒット商品アルスター
大手町の都立産業会館で実施されたガラス業界の展示会に参加し、現行の商品でもあるアルスターも展示しました。
同商品は石塚硝子の一番のヒット商品となり、現在でも人気の商品となっています。
全国アデリア会発足
石塚硝子株式会社代理店を下記の5販社に統合し、資本金を1億円に増資しました。
・東京アデリア(株)(旧千代田硝子(株)中核)
・名古屋アデリア(株)(旧(株)日比幸中核・(株)石塚硝子店・森硝子)
・大阪アデリア(株)(旧(株)増田硝子店中核・児玉硝子)
・九州アデリア(株)(旧(株)日比幸九州営業所中核)
・札幌アデリア(株)(旧(株)石塚硝子札幌営業所中核)
同年、全国の特約店182社からなる全国アデリア会が発足しました。
この時代にはパソコンもなく、事務所では全て電話で注文を受け、社員は注文書を持って客先を訪問していました。
石塚硝子の展示会参加
この年、都立産業会館が大手町から池袋に移動しました。石塚硝子もこの年から展示会に参加するようになり、客層も国内商社、輸入商社、メーカーなど様々で華やかに展示が行われていました。
新商品説明会
現在も毎年開催されている新商品説明会。狭いスペースの中で、多くのお客様との商談が行われました。
ラック倉庫のお披露目会
愛知県岩倉市の石塚硝子工場内に、当時としては珍しいラック倉庫が完成しました。
倉庫完成に際して、全国の主要なお客様を招いたお披露目会を行いました。
地方でも行われた展示会
当時は地方でも展示会を行っており、問屋のお客様と、その先の小売店のお客様と一緒に商談を行いました。
アデリア株式会社として
この年、アデリア株式会社に社名が変更。現在の東京本社所在地に本社ビル(9階建)が完成。同時に、5つの支店(東京・名古屋・大阪・九州・札幌)を開設しました。新事務所も設け、完成した時には華やかなパーティーを開催しました。
アデリアのあり方
この年、イベント会場を借り、石塚硝子株式会社の展示会を開催しました。この展示会の営業活動をアデリア株式会社として担当したことが、現在のアデリアのあり方につながっています。
事業効率化の一環として札幌支店が営業所になりました。
名古屋支店を岩倉工場内に移転しました。
大阪支店建替え
竣工式を行ないました。
札幌営業所閉鎖。
創業70年、これからの未来
2019年12月に創業200年を迎えるガラス製品の先駆となった「石塚硝子株式会社」。その食器ブランドADERIAの販売を担うのが、私たち「アデリア株式会社」です。創業から70年、石塚硝子の伝統を守り、日本のガラス食器を未来に繋いでいこうと社員一同心をひとつにしてきました。国内では少なくなってしまったメイドイン・ジャパンのガラス食器を守っていくためにも、魅力的なデザインを世に送り出し、家庭の食卓を彩っていきたいと思います。また、より多くの人たちにアデリアのガラス食器を手にとっていただくためにも、時流に合わせた情報発信や新しい価値の創造に力を入れて参ります。